プロフィール
このページではなぜこの仕事をしたいと思ったか
そしてこんな人間だということを
知っていただきたいと思います。
【お互い好きだから
結婚したんじゃないのか?】
僕は1991年、愛知県で生まれました。
今も愛知県に住んでいます。
4つ上の姉がいる末っ子長男です。
僕の両親はとても仲が悪く、
離婚はせずとも家庭内での会話はほとんどなく
今もその状況は続いています。
もちろんその両親から僕が生まれているので
生んでくれたこと、育ててくれたことには
たいへん感謝していますが、
なりたい夫婦像ではありませんでした。
いつから仲が悪くなったのかは知りませんが
僕らを生む前からだったようです。
なんでこの二人は結婚したんだろう?
お互い好きだから結婚したはずなのに
僕は小さい頃からいつも疑問に思っていました。
そして「こんな夫婦には絶対にならない!」
「自分は絶対幸せな結婚をする!」
そう心に決めました。
このページを読んでくださる人の中には
僕と同じような経験をして
幸せな結婚ができるか不安という方も
いらっしゃるかもしれません。
でも大丈夫!
僕は偶然ではなく自分の思う幸せに
基づいてそれを獲得したのです。
自分で実践したからこそ
その方法を届けられると思っています。
これについては後ほど書かせていただきます。
【大嫌いだった父が
作ってくれた僕の長所】
今はちゃんと話せるようになりましたし
大嫌いという感情はないですが
30歳になるまで許せませんでした。
父はいつもムスッとしていて
家族とコミュニケーションを取ることは
ほとんどありませんでした。
口を開いたかと思えば怒り出す。
しかも予期せぬところで。
いつ怒られるかわからないので
話しかけることも近づくことも避け
ビクビクしていました。
理不尽なことで怒られることもよくあって
覚えていることは
普通にしていただけなのに
「最近、生活態度がよくない」
といきなり怒られたり
階段を上がってくる父と
下っていく僕がはち合わせになった時
僕は部屋に忘れ物をして
それを取りに引き返したところ
「なぜ、俺をさける!」
と言われたこともありました。
このころ辺りではないでしょうか。
僕が主観だけで事実やデータにも基づかず
感情をぶつけてくる人を許せなくなったのは。
今でもそれは変わりませんし
自分がそのような考え方や
態度をしないことを徹底しています。
自分が思う主観は押し付けませんし
それが正解だと思っていません。
それを正解か不正解か判断するのは相手です。
【心配性で過干渉な母】
さて、話を生い立ちに戻します。
先ほど説明した通り
そんな父だったため
僕がグレなかったのは母親のおかげでした。
母はいつも僕の味方だったんです。
僕が父に怒られると言い返してくれたり
慰めてくれました。
そんな母親は僕の絶対的味方でしたし
絆は深かったと思います。
逆に母も僕を頼りにしてました。
父の愚痴を聞いていましたし
周りが反抗期の時も
僕は特別な反抗した覚えはありません。
母もまた自分の味方がいなかったんでしょう。
姉の反抗期もまあすごいものでしたから。
そして時は過ぎ、大学生になりました。
強い絆があった母と小さな溝ができ始めたのは
このころ。
僕が通っていた名城大学は
県外から通う子も少なくなく
またバイトを始めたことで
僕は外の世界を少しずつ知ることになります。
今まで気づかなかった
家庭内の違和感を知るようにもなります。
周りの友達が自由にやっていることに
うらやましさを感じ
僕は母を突き放すようにしていきました。
今まで、言うことを聞いていた息子が
自分の言うことを聞かなくなったり
無視するようになり悲しくなったのでしょう。
ケンカの回数も増えお互いが思うように
相手が動かないことにイライラしました。
僕が当時付き合っていた彼女を
家に呼ぶと不機嫌になる母に嫌気がさしました。
真っ向からぶつかっていた僕も
今思えば未熟ですよね。
ちゃんと思ってることを話せばいいのに。
そんな分かり合えない関係と時間が続き
僕は両親を敬遠するようになっていきました。
【年の差14歳
シングルマザーの彼女】
父と母から距離を取るようになった僕は
本音を話すことはなくなり
心の居場所がなくなりました。
誰もわかってくれない。
誰も信じない。
だから心が満たされることはなく
ずっと寂しかったのです。
僕は就職するにはまだ時期尚早だと思ったので
大学院に進学しました。
そして、アルバイト先の社員と
お付き合いするようになりました。
当時、僕が24歳、お相手は38歳
年の差14歳、周りもびっくりしていました。
その彼女には娘が二人おり
娘との年齢の方が近かったのを覚えています。
当然、親にはその人との関係は隠していて
夜な夜な会いに行ってました。
泊まってくることも多く行き先を告げないことや
朝帰りになる僕を心配し怒りをぶつける母。
大人なんだからもう放っておけと反抗する僕。
家族との関係性が最悪だったので
甘える場所は当時の彼女のところだけでした。
なんでも受け止めてくれる母親の
代わりを探していたのかもしれません。
【一人ぼっちになった僕】
僕は大学院を卒業し
大手ハウスメーカーに就職しました。
両親は安心したでしょうが
僕が心の距離を取っていたのは変わりません。
夜に彼女に会いに行くのが難しくなったのと
この人とは結婚できないとわかっていたので
お別れすることになりました。
就職して約1年、ある現場を任された時
ひどいクレーマーと出会い
会社も上司も助けてくれませんでした。
ずいぶんしごかれました。
それでも家に帰ると
母が心配するので平気なフリをしていました。
よくある話ですが
心が病んでいると悪い人はつけこんできます。
僕は頼る先がなかったので
怪しいチャットサイトで
話を聞いてくれる人を見つけました。
僕は顔も知らない相手を好きになり
相手も付き合いたいという。
今冷静に振り返ればバカなもんです。
さらにバカだったのは
結婚まで本気で考えている彼女ができた
と母に告げたことです。
残酷な現実が待っていました。
その彼女がお金をくれと言ってきたんです。
ようやく気付いたのです。詐欺だったことに。
母は心配して家族どころか
いとこの家族にも相談していたため
僕は恥さらしになりました。
親戚に恥さらし、家族は信用できない
好きだった人が詐欺師
仕事ではクレーマーの対応。
人間不信になりました。
誰も僕の味方なんていない。
誰もわかりあえる人がいない。
あの時が人生で一番不幸だったと思います。
死ぬ勇気がなかったから生きているだけ。
誰か自分を車で跳ねてくれないかな。
そう思っていた時期でした。
【僕の人生を救ったある本】
居場所がない僕は本に逃げました。
ブックオフで心が疲れた人向けに書かれている
本を買いあさって読んでいました。
もうタイトルは忘れましたが
ある本にこんなことが書いてありました。
「自分が救われたいのなら他人を救いなさい」
僕は詐欺師がいたチャットサイトではなく
違うチャットサイトで
自分と同じように悩んでいる人を見つけ
片っ端から声をかけるようにしました。
カウンセリングの技術なんて知りません。
寄り添うことくらいしかできませんでした。
でも、それを繰り返すと
「ありがとうございます。助けていただき。」
「あなたがいてくれてよかったです。」
そのような言葉をたくさんいただいたのです。
でも、それで救われたのは僕の方です。
あの本のいった通りになりました。
正気に戻った僕は自分に自信がつき
他人に頼るのをやめました。
マッチングアプリもチャットサイトも
全て断ち切り
趣味で友達を作りそこから
良い女性に出会えたらいいな
と考えるようになりました。
振り返ると今の奥さんと出逢ったのは
そう考え始めて2か月後でした。
【大人の魅力を持つお姉さん】
やっと本来の自分を取り戻した僕は
趣味の場を広げるため
彼女ではなく友達を作る方向性に変えました。
僕はミスターチルドレンが大好きなので
一緒にライブに行ってくれる人募集
というネット記事を見て
ある男性と会いました。
彼と意気投合し二人で友達を集めて
フットサルを定期的にしよう
ということになりました。
その彼が連れてきてくれた女性が
僕の今の最幸の妻です。
彼女(今の妻)はいつも周りの友達に
気を使って盛り上げたり
話しかけたり
新しい人を積極的に巻き込んだり。
自分よりも周りを大切にしている姿が
そこにありました。
その彼女の立ち居振る舞いに
大人の余裕を感じました。
彼女はバツイチ、年齢も7つ上
でも関係ないと思いました。
そこから親密になり
お付き合いをし2年後に結婚しました。
【7つ年上の彼女と結婚しよう
と決めた決定的なできごと】
お付き合いをしてから半年たったころ。
僕は大手ハウスメーカーに勤めていることが
ものすごくストレスだったのです。
当時、彼女は37歳。
「彼女も早く結婚したいだろうし
今転職すれば結婚は伸びるな」
「でも、こんな職場で続けていくのも嫌だな」
1人で葛藤していました。
もちろん彼女には口にはしていません。
ただ、もうわかっていたのです彼女は。
「仕事嫌ならやめたらいいじゃん!
私との結婚は別に先になってもいいよ」
「もともと結婚できないと思ってたし
あなたが暗い顔で出勤するのを
見送るほうが嫌だわ」
「フリーターになってもいいから
やりたい仕事をちゃんと見つけなさい」
この言葉が彼女を一生幸せにしていくと決めた
決定的な瞬間でした。
【その後の結婚生活は?】
僕は最幸の妻と結婚して4年目を迎えています。
もう新婚ではありません。
それでもとっても幸せです。
もちろんお互い嫌な気分にさせたり
怒ったりすることはあります。
妻は世界一できる完璧な妻ではありません。
低く評価する人もいるかもしれません。
でも
僕にとっては世界一幸せにしてくれる妻です。
だからあなたにとって
世界一のパートナーを見つけて欲しいです。
そう、僕が結婚して幸せになったこと
本気で結婚っていいなって思うからこそ
少しでも多くの人にそれを届けたい。
結婚を望む方には
ぜひその幸せを味わって欲しいと願い
この仕事を誇りを持って行っています。
【完璧ではなく
効率性を求める僕】
ここから僕の強みについてお話しします。
「几帳面そうに見えて案外めんどくさがり」
妻は僕にこう言います。
僕のことをよく知る方もそう言います。
はい、当たり。
だから何事も効率を重視して
少ない努力で最大の結果が得られるよう
行動することが身に付いていました。
勉強も仕事もなんなら結婚さえも、、、
ただ、怠けていたわけではありません。
この最小の努力から最大の結果を
得られるための情報収集や分析に
力を入れていたのです。
【変わったテスト勉強の仕方】
中学や高校に入ると
中間テストや期末テストってありますよね?
楽しみにしていた人はいないかと思います。
もちろん僕もです。
でも点数は取らなければいけません。
そして、こんな勉強方法を身に付けました。
授業を真剣に聞いて
なめるように教科書を見てひたすら問題を解く。
残念ながらそんなタイプではないんです。
だから学年が変わってからの
最初のテストは適当に勉強します。
するとだいたい50点くらい
悪い時は40点台とか。
ここからが僕の必勝法。
持ち帰ったテストをしっかりと復習する。
なんてこともしません。
テストを見返してこの問題が
どこから出て来たのか徹底的に分析します。
そう、先生の出題の傾向を解読するのです。
するとどうなるか?
出題傾向のある所だけ勉強します。
たいして時間は裂きません。
100点は取れません。
でもだいたい70~80点台に持っていけます。
表面上は割と優等生。
でも、本当は遊んでばかり。
ずる賢さばかり磨かれました。
【E判定からの逆転合格】
僕は建築学科に進むため
名城大学に入りたいと思っていました。
実力で入るのが難しそうだったので
推薦を選びました。
まあ受かるだろうと思っていたら
なんと落ちます。
「やばいっ!でも、なんとしてでも入りたい」
一般受験までは3ヶ月しかありません。
当時、模擬試験では
名城大学の合格率は10%以下(E判定)
普通に勉強したって到底追いつけません。
僕は賭けに出ました。
名城大学の過去問を7年間さかのぼって
各年のテストを3周こなしました。
各年のテストを3周こなしました。
そして似たような傾向の問題集を解くだけ。
一般受験の1か月前に行われる
センター試験でもやはり
名城大学の合格見込みはE判定。
これは名城大学の傾向とは違うから無視してOK
へこたれもせず
名城大学の一般試験を受けました。
見事的中。ほぼ過去問の内容です。
そして大逆転の合格を果たしました。
まあ、背伸びして入ったから当然
大学時代は落ちぶれでしたけどね。
【分析からできた僕の商品】
結婚に話を戻します。
冒頭で話したように
僕はなんとしてでも幸せな結婚をする
と心に決めていました。
結婚する相手をそろそろ見つけたい
と思っていた当時は
焦っていたわけではありませんが
絶対に失敗したくないと思っていました。
たくさん付き合ってサンプルを取る
という方法もあったかと思いますが
時間もかかるし
そんなの繰り返す精神的体力もありません。
ましてや
そんな彼女をポンポン作れるほどモテません。
だから、絶対幸せな結婚をするために
分析を繰り返しました。
そして僕が思う7つの外せない
ポイントを見つけ出し
今の妻と結婚しています。
この7つのポイントはお試しカウンセリングを
受けてくださった特典としてご用意しました。
【あなたが踏み出すのは
今この大きな1歩】
もやもやしているようであれば
迷わずお試しカウンセリングを受けてください。
あなたには2つの選択肢があります。
ひとつはご自身で自己分析を繰り返し
自分の魅力をまず見つけ出す。
そして
年下男性を落とすテクニックを自分で学び
実践と検証を繰り返す。
もうひとつは僕があなたの魅力を引き出し
その魅力を年下男性に向けて
どうアプローチするかを一緒に作っていく。
最幸のパートナーと結ばれるために
どちらの選択をされるかはあなたしだいです。
【経歴・出来事】
〔10~12歳〕
建築の設計士になりたいと
早々と自分の道を決める
〔12~24歳〕
他の進路に見向きもせず
ひたすら建築の道を進める
〔24歳〕
名城大学大学院建築学卒業
ハウスメーカーSに就職
〔27歳〕
仕事を好きになれず退職
本当にやりたいことを探す
〔28歳〕
人材派遣会社Wに転職
仕事選びに失敗、失望
〔29歳〕
やりたいことを見つける
建築写真会社Iに転職
結婚 妻待たせてごめん
〔30歳〕
性格診断とカウンセラーの資格取得
会社員をやりながら
コンサルタントの仕事も始める
〔33歳〕
カウンセラーの資格を取得した会社の社長から
オファーがあり転職
会社の管理と集客戦略と
カウンセラーの集客営業サポートを任される
【自己紹介】
名前 小木曽元彦
生年月日 1991年5月21日
出身 愛知県瀬戸市
住まい 愛知県清須市
学歴 大学院卒
仕事 カウンセラーを育てる会社で集客と営業サポート
人の魅力を引き出すコンサルタント
趣味 ギター 読書 自己啓発 考えること
特技 寿司を握ること
資格 二級建築士
心理プロファイラー認定講師
コミュニケーションカウンセラー